「また批判コメントだ…」 画面を見るたび、胃が痛くなる。
誰かに相談しても「気にしなければいい」と言われるだけ。
でも、気にしないって、どうやって?
情報発信をしていると、必ずと言っていいほど現れるのが
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やたら攻撃的なコメント
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内容を読んでもいない批判
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群がるように寄ってくる野次馬
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自分では何も生み出さないのに、他人のミスにだけ敏感な人
こういう人たちに心を削られた経験は、発信者なら一度はあるのではないでしょうか。
こんにちは、あきらです。
僕自身、YouTubeやSNSでの実体験から、なぜ彼らがこうした行動を取るのか、そしてどう対処するのが最善なのかを整理してみました。
風評被害に悩む情報発信をがんばっている人や、これから発信を続けていきたい人に少しでも届けば嬉しいです。
ちなみに、今回のやつはこれでした。過去に歌ってみたあげた時にも「下手くそ!やめちまえ」的なひどいやつもありましたね〜(ブロックしましたが)

なぜ「批判しかしない人」は一定数いるのか?

■① 自分から何も生み出さないから、批判が“唯一の承認欲求”になる
本気で何かを作っている人ほど、他人の作品を簡単に叩けないものです。
一方で、行動していない人ほど“誰かを批判すること”が自分の存在価値になります。
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何も生み出していない
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何かを頑張った成功体験もない
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自信がない
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でも目立ちたい
この手の人にとって、批判行為は「自分のほうが上だ」と感じられる唯一の瞬間なんです。
■② 「共通の敵を叩くと連帯感が生まれる」という日本の同調圧力
日本独特の“いじめ文化”とも言われますが、
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みんなが叩いている
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流れができている
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乗っかったほうが安全
という心理が働きます。
実際、炎上や批判のほとんどは“最初の火種”よりも、その後に集まる野次馬で大きくなります。
こうなると製作者本人の言い分なんて、誰も聞きません。
■③ 自分の人生が満たされていないほど、他人へ攻撃的になる
心理学でもよく言われることですが、人生が充実している人は、そもそも他人を叩いている暇がありません。
逆に言うと、批判しかしない人は
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暇
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ストレスが溜まっている(私生活でのトラブルとか全く関係ないこと)
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自分のことで手一杯
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劣等感を抱えている
こうした背景があることが多いです。
「動画を削除するか?」問題は永遠に終わらない
一度野次馬が集まると、たとえ動画を消しても
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なぜ消した?
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都合が悪かったのか?
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誤魔化したな
などと“どっちに転んでも批判される”状態になります。
つまり、
行動してもしなくても文句は言われる。ここに正解はない。
だから対応に心を使うだけムダです。
ドリームキラー”の存在
こういう話になると思い出すのが、いわゆる“ドリームキラー”の存在です。何か新しいことに挑戦しようとすると、必ずと言っていいほど「やめとけ」「うまくいくわけない」と否定してくる人がいます。
でも彼らは、あなたの挑戦を本気で心配しているわけではありません。多くの場合、自分が行動していないことへの劣等感や嫉妬から、他人の挑戦を引きずり下ろそうとするだけです。
僕も何度か経験しましたが、彼らの言葉に耳を貸すと、本当にやりたいことが見えなくなる瞬間があります。だからこそドリームキラーへの最強の対処は、相手にしないこと。夢を壊す言葉ではなく、応援してくれる人の声だけを拾って進めば、それで十分なんです。
結局、発信者が取るべき最善策は「無視」一択

これは強く断言できますが、結局、発信者が取るべき最善策は「無視」一択です。 僕の体験談も交えながら解説していきます。
僕の失敗談
彼らは論理も根拠も求めていないし、こちらが丁寧に説明しても理解する気すらありません。
僕自身、野次馬のコメントに反応してしまったことがあります。説明すれば分かってくれると思ったんですが、結果は逆でした。返事をした瞬間、さらに批判が増えて、まるで火に油を注いだように状況が悪化。
相手は議論したいわけじゃなく、“僕が反応した”という事実だけを面白がっていたんだと痛感しました。この経験から、無視こそ最強の防衛だと学びました。
■無視を最適解とする理由
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反応すると“ご馳走”だと思われてエスカレートする
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野次馬は騒ぎたいだけで、真実には興味がない
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批判に対応するほど、あなたの発信活動が停滞する
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心を削られるのでパフォーマンスが落ちる
発信者の精神衛生を守る意味でも、無視するのが最も合理的です。
原因から距離を置くことの大切さ
僕自身、いじめから距離を置くことで状況が一変した経験があります。小学生の頃、ただ太っていたという理由だけで毎日のようにからかわれていました。でも小学校5年生で転校した瞬間、そのいじめは嘘のように消えました。
環境が変わるだけで、同じ僕でも扱われ方がまったく違ったんです。この体験を思い返すと、嫌な相手から物理的に離れられるなら、それも立派な解決策のひとつだと感じます。ただ、あの頃の傷が完全に消えたとは思っていません。
だからこそ今は、無理に向き合う必要なんてなくて、自分の心を守るために“無視”や“距離を置くこと”を選ぶのは決して逃げではない、と強く思います。
ってことで、もう雑学はもうアップしませんw
こちらが、僕のYouTubeチャンネルです。
とはいえ…心がしんどいときはどうする?

■① “速い段階で”仲間やフォロワーに相談する
こういう批判とかをしてる人って、おそらく普段は普通の人として生きているんだと思います。木村花ちゃんの事件とか知らないんでしょうか?
悲しいことに意外と「自分もやられたことあるよ」という人は多いです。
経験者と話すと、気持ちがだいぶ軽くなります。
ちなみに、今回の記事を書こうと思ったきっかけは、情報発信など頑張っているのに、何もしてない人から批判をされて疲弊してる人がいると思ったので、こうした記事を書いてみました。
■② 批判は“アルゴリズム的にはプラス”だと理解する
実は、批判コメントもYouTubeにとってはエンゲージメント。
視聴者が増える入口にもなります。
「むしろ美味しい」くらいに思っておけばOK。
■③ 落ち込む日は、単純作業や練習に逃げていい
個人的には心の回復には“成功体験”より“安心できるルーティン”が効きます。
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ギターの基礎練
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弾き語りの反復練習
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簡単な編集
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ブログの下書き
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部屋の掃除
こういう「結果を求めない作業」こそ、精神安定剤になります。
そして、批判してる人もそこまで暇じゃないので放置しているといつの間にか鎮火してます。
発信者が守るべき3つの大原則【保存版】

① 説明しない・反論しない・戦わない
不毛な争いで消費するのは、いつも“行動している側”です。
僕は過去にオリラジの中田敦彦さんが言ってた自分を守るために批判的なコメントを全部消すっていうのやってた時期もありました。
しかし、今の時代AIとかでコンテンツを生成するスピードも上がっている中で、 どんどん湧いてくる1部の批判に体力を使うのも違うと思って最近は放置の方が良いのでは?とも思ってます。(あまりにも見栄えが悪いと見た人が気分を害すので消す可能性もありますが)
② 必要な批判だけ拾い、残りは雑音と見なす
本質的な指摘をしてくる人は、ごく少数です。 批判ではなくてその人に本当に頑張ってほしいと言う気持ちで意見してくれる人がいます。しかしこんな天使のような人は本当にごく1部で、たいていは意味のない批判ばかりです。
そこの見極めがしんどすぎるのであれば素直にコメントを削除したり、 無視し続けましょう。
③ クリエイティブに時間を回す
生成AIコンテンツに対して批判する人もいますが、 何かのコンテンツを作っている以上、誰かに価値を提供しようとしている と言う事ですから、僕は尊い行動だと思います。
また、AIと共にコンテンツを作っている人は2025年現在においていろんな可能性を試している人である事は間違いないので、自信を持っていろんなことに挑戦すればいいと思います。そして批判に関しては、言わせておけば良いと思います。
批判者はあなたの人生に責任を取りません。
行動する側だけが、人生を変えられます。
■まとめ:批判文化に疲れるあなたへ
批判しかしない人は、あなたより優れているわけでも、正しいわけでもありません。
ただ“暇で、自分の人生が満たされていないだけ”です。
あなたが今やっている行動、コツコツ積み上げている活動のほうが
何百倍も価値があります。
だからこそ、彼らにエネルギーを奪われる必要はありません。
あなたの発信や作品を必要としている人は、静かだけど確実に存在します。
そちらだけを見て、淡々と前に進んでいきましょう。
P.S.
あともうちょっとでチャンネル登録者数1000人達成できるので応援よろしくお願いします




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